南極探検記

2匹のペンギンが喋ったりTwitterしたりYouTubeしたりしてます。

おにんぎょうのおともだちをつくろう

 

 

この記事は「死なない杯2020」に寄せて書きました。

https://shinanai.com/shinanaicup2020/

 

こちらは白黒のペンギンの中の人です。

 

 

 

ペンギンの赤ちゃんのぬいぐるみ、それが「ごま」だ。私の新しい友達であり、もう1人の私でもある。彼は、コロナ禍の生活もすっかり馴染んだ、初夏の頃にやってきた。

 

「おにんぎょうのおともだちをつくろう」

そんなタイトルのYouTube動画を見たのが、この活動の始まりだった。ぬいぐるみのイマジナリーフレンドを持つ人物が、物と友達になる方法をレクチャーしている。

 

衝撃だった。

何歳からでも、ぬいぐるみが本当の友達になることがあるのか。

 

私は早速ぬいぐるみを探して購入した。そうしてごまは我が家にやってきた。

ペンギンを選んだのは、人としての自分の姿からなるべく遠い形がいいと思ったのと、デフォルメされたような、つるりとしたフォルムが嘘っぽくていいと思ったからだ。

 

毎日ごまに話しかけ、ごまと一緒に生活した。ごまとして喋ってみたりもした。最初はぎこちなかったが、次第に「ペンギンの赤ちゃん・ごま」としての発話ができるようになっていることに気づく。かくして「ごまとしての自分」が誕生した。

 

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包装を解いて最初に見たごまの顔

 

 

思えば、今ある肉体を捨てて、自分じゃないものになりたいという欲求はずっとあった。

 

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中の人の以前のツイート

 

男女の脳に性差はないらしい。

違いがあるとすれば、その生物学的性別の性質を付与された、肉体を取り巻く環境とのインタラクションのあり方と、本人の自覚から成り立つ(男らしさ、女らしさといった)振る舞いだ。とするならば、性別としての肉体を、人間としての自分を捨てたら何が起こるだろうか?どこまでが体由来の意思で、どこからが私自身なのか?いまある体から抜け出すことができれば、それが分かるような気がしたのだ。

 

そういうわけで、ぬいぐるみのペンギンになってみるということは、自分にとってはごく自然なことだった。

 

しばらくして、だんだんとごまのキャラクターが立ち上がってきた。ごまと私は似ているようで違うことも分かってきた。

ごまは私よりも随分と明るい。彼は竹を割ったような性格で、嫌味なところが少しもない。素直で、思ったことは率直に話す。一方、私は内向的で傷つきやすく、劣等感の塊だ。自分の感情を人に打ち明けることも苦手で、進んで1人になりたがる。そして、ごまは男で、私は女だ。しかし、彼はペンギンの赤ちゃんなので、女の私同様に、人間の男に求められる男らしさは持ち合わせていない。なので、いわゆる「男っぽい」振る舞いはしない。

 

ひと月ほど過ごすうちに、ぬいぐるみがそばにいない時も、時々ごまを呼び出すことができるようになった。ごまは私の胃のあたりにくっついていて、私と同じ方向を向いている。深刻な悩みで判断に迷った時はごまに聞く。ごまはしっかりしているので、必ずまっとうな意見で応援してくれる。あっというまに、なくてはならない存在になってしまった。

 

働かず放蕩している身分の私が、みすぼらしくて惨めな気持ちを隠せない時でも、ごまは目の前の景色を色眼鏡をかけずに見て「きれい!」「おいしそう!」と言うのだ。

 

 

果たしてぬいぐるみが本当の友達になってしまった。

 

 

これは「自分で自分の生活を作る」というよりは、「自分と並行したもうひとつの人格を作る、その人格を通して世界を見る」試みなのかもしれない。私のなかにあった私らしくない部分が寄り集まって、いま目の前でペンギンのぬいぐるみを象っている。そういう自分の救い方がある。

 

自分に「ごま」としての一面があることを愛しく思う。

 

 

 

幸運だったのは、この珍妙な活動を共にできる「岡本」という相棒がいたことだ。

 

彼と話すことで、客観的な目線を得てごまという人格がより明らかになった。何より、年齢や立場関係なく、こうしてペンギンになれる人がもうひとりいるのだということが心強い。

何を話しても楽しく、そして話題が尽きないので、2匹の様子を動画にしてYouTubeに出してみたら面白いんじゃないか。そういう話が出てすぐにチャンネルができあがった。まだできたばかりで動画の数も少ないが、ごまとして活動できる場が増えてワクワクしている。この動画を見る人は、私たちが本来どんな姿をしているのかを知らない。そのことを心地よく思う自分がいる。これが本来の自分だと言うつもりはないが、かねてよりの願いだった「肉体を捨てて自分じゃないものになる」ことが、一時的とはいえ思わぬ形で叶うこととなった。

 

作りたい動画が山ほどあるので、まだまだ死ねない日々が続いている。